日記前駆体(藤本みどり)

日記の手前の文章

曲を公開した所感

なんとなく自分が作った曲をいくつか公開してみた。

それにまつわる感情の動きを書いてみたけど、読まなくていい。本当に読まなくていい。読むほどの価値がない。時間の無駄。

これを書いてて本当に自分は文章を書くのが下手なんだと思った。自己肯定感は下がる一方。

 

動機

作曲という行為を趣味にして8, 9年経つがその間自分の曲を公開したことがなかった。

公開することが嫌だった。下手なのは分かっているし、上達する意欲も無いからだ。

 

最近、プロセカという音ゲーを始めた。

プロセカはボカロ曲の作曲コンテスト「プロセカNEXT」を定期的に開催しており、その受賞作品はアプリにプレイアブルな楽曲として実装されている。

その受賞曲のどれもが新しくて、エネルギッシュで、工夫されたものだったからなんとなく作曲という行為に対しての見方が変わった。(これらの曲の感想を 1つずつ書きたいと思ってるけど現在時点で24曲もあるし大変そう)

相変わらず作曲は下手だし、上達する意欲はないし、他人にとやかく言われたくないと思ったままだけど、なんとなく自分の曲を公開することが嫌だという意識が薄れて、ニュートラルな状態になった。

だから、常々ブログをやってみたいとは思っていたから、そのネタとして自分の曲アップロードしてみた。

 

この行動から考えれば、実際にはニュートラルな状態ではなく、微かに公開してみたいと思っているのかもしれない。

でも自分の曲周りでマイナスの気分になったら絶対記事を消すだろうなと思うから、やっぱりそれほど乗り気でないのかもしれない。

 

作曲という行為に対して

私は合唱というジャンルの音楽しか演奏したことがない。

合唱はいろいろな縁があって8年続けているからなんとなくその書法がわかるが、器楽はからっきしだ。

だから合唱曲を作りたい気持ちはあるが、私は詩を書いたり読んだりするのが著しく苦手である*1から、言葉のない合唱曲という矛盾に満ちた音楽をよく作ってしまう。

それを嫌って器楽のアンサンブル曲を作ったりもするが、弾いたことのない楽器の曲を書くことは、演奏者のことを考えられない音楽を作ってしまうことであり、結局同じ過ちをおかしている。

だから私にとっての作曲という行為は自己満足で終結する。

思いを伝えたいとか、演奏してほしいとか、評価してほしいとかそういうことではなくて、ただ単純に思いついたものを固形にしたいだけである。

そうじゃないと10年弱もこんな生産性のない行為を一人で続けたりしない。

 

公開した感想

「何これ?」とかコメントされたら泣きながら消しちゃいそう。その程度の技能しかないという自覚がある分余計に怖い。

すべてが怖い。何だスターって。スターを連打してったアカウントは何者なんだ。スパムか?

もう既にやや後悔している。公開を後悔ってね。あはは。

*1:この記事の文章も節操がなくて下手くそだし……